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二刀を学んで(会員の声)

     以下に紹介するのは、スキージャーナル社の月刊誌「剣道日本」2003年2月号の二刀流特集記事の中で紹介された、「二天一流武蔵会」の会員による「二刀を学んで得られたこと」という内容の掲載記事です。二刀経験者の生の声を聞いてみてください。
    (投稿者の名前は、当サイトでのハンドル名を使用しています)


「対二刀」のためから、「二刀で強くなりたい」へ                                HN:みずみず

 私は二刀に対して当初、そんなものはお遊びだと完全に馬鹿にしていました。「真剣に二刀流を練習している人間なんていない」というぐらいに思っていたかもしれません。もしいたとしても、それこそチャンバラ的なものしか想像することができませんでした。

 しかし自分が考えていた二刀とは違う「武蔵会の二刀」に出会ったことで意識は大きく変わりました。どっしりとした剣風の二刀に対し何もできずに打たれました。悔しさから自分なりに対二刀を考え、稽古に通うようになり、試行錯誤を繰り返すうち「二刀を知るにはまず自分で二刀をとるべきだ」と考えるようになりました。自分が二刀をとることには強い抵抗感がありましたが、先入観や偏見が間違いであったと思い直し、武蔵会に入門したのです。

 もちろん初めは二刀の操作が思うようにできず、四苦八苦するばかりでした。当然、そんな自分では対二刀に慣れている武蔵会のメンバーと対等に戦えるはずがありません。それが悔しくて少しずつ、最初の「対二刀のため」という気持ちから「二刀で強くなりたい」というような気持ちに移行していき、次第にのめり込んでいったのだと思います。

 現在二刀を始めて11ヶ月、一刀の技術や攻めに関してもそれまでとは違った方向からも思考し、稽古することができるようになったと実感しています。

 一刀というのは二刀に比べて非常に多くの剣士が日々研鑽しているわけですが、二刀というのはある意味まだ「未知の世界」だと思います。二刀流の剣士がたくさんいた時代もあったということですが、現在、二刀に関する文献は非常に少ないですし、竹刀剣道で二刀流をとっている人には我流が多いと聞いています。それに比べて一刀は、「研究され尽くしている」というのは言いすぎですが、そういった部分で二刀流との大きな差があるのではないでしょうか。

 自分は武蔵会中村師範のもとで「二刀流の道を切り拓いている」という気持ちがあるのです。竹刀剣道に関しては特にその思いが強くあります。一刀では技術論はだいたいラインが定まっています。二刀では、そういった部分が一刀ほど成熟していないと思いますし、個人個人での違いを包み込む自由度の高さもあると思います。

 先日の関東学連剣友剣道大会で、これまで私が知っていた二刀流とは全く違う二刀の方の試合を拝見することができ、とても勉強になりました。開拓精神を大切にし、かといって剣道の基本的基礎的部分もないがしろにはせずに、しっかりと足場を固めながらやっていかなくてはいけない、と強く感じました。

 一刀での稽古をおろそかにすることなく稽古を積み、一刀にしても二刀にしても、その限りない奥の深さを探っていきたいと考えています。一刀と二刀の両方ともが、今の私にとっての「剣道」です。


余裕ができ、相手を見ることができるようになった                              HN:ひろ@みと

 二刀との出会いは私の剣道にとって一番の出来事だったかもしれません。

 平成12年の2月に、初めて中村師範に稽古をお願いしたのですが、一方的に攻められ、上下太刀で構えられグイグイと間合いを詰められ、私は仕方なく道場をぐるぐる回っているという状態でした。そのとき撮ったビデオにはカメラの前を行ったりきたりしている私が写っていました。

 「私もこのように相手をグイグイ攻めることができるようになりたい」

そういう想いと、逆二刀(左手太刀、右手小刀)を学べば一刀での私の悪い癖が修正できるのではないか、という気持ちで二刀を稽古してみることにしました。

 やはり二刀の稽古はいろいろ参考になる点が多くありました。

 二刀をとってからは「左肩に力が入りすぎてしまい左が浮く」というそれまでの癖が多少なりとも直ってきていると思います。そしてなにより強く感じることが気持ちに余裕が出てきたことです。

 一刀だけのときは”ここ”と思ったときに迷わずに打つということをただ繰り返しているだけでした。私は身長が低く、相手と同時に打つと相手より早く打つことはできても、上から乗られることが多かったので気持ちの余裕がなかったと思います。身長の低い私では乗られてしまうという思いが強かったので相手がちょっとでも色を見せたらいくしかありませんでした。しかし、二刀は相手の攻めに対する防御が非常に優れています。二刀で相対していることにより一刀よりは余裕ができ、相手を見ることができます。

 これは一刀だけを稽古していたままの自分にはすぐにできないことだったと思います。二刀をとることにより、“見られる”という間を体験できているのではないかと感じて、私の剣道の幅が広がったように思えます。自分が感じ取った部分を子供や後輩(一刀の)に教えることができると思います。そして何より剣道を楽しくしてくれ、今まで以上に剣道が好きになることが出来ました。


二刀からみた剣道の道を追求して行きたい                                     HN:白籠手

 息子たちが通う地元剣友会の先生はニ刀を遣う方でした。かなりの高齢の先生でしたが、二本の竹刀を構えた立ち姿は凄みと美しさがあり、いつも目で追っていたことを覚えています。剣道って高齢になっても人を感動させられるんだなあとぼんやり思っていました。

 その先生の勧めで私も剣道をはじめるようになって、かれこれ丸7年になります。一級をもらった頃から私自身もニ刀の素振りをしていましたので、ニ刀歴は6年ということになります。三段をもらった3年前から出稽古で積極的にニ刀を使うようになりました。

 出稽古でニ刀を執ってみると以前と違った稽古になってきたのを感じました。指導してくださる先生方もさまざまな対応で、その変化をみるのが楽しみになってきました。あくまでも正中線をはずさずにどっしりと構える方、防具があろうとなかろうと突きまくる方、自分の構えをいろいろと変化させる方、などなど。一刀同士の稽古では思いも寄らぬ稽古が展開します。私の稽古は修行であると同時にいろいろな可能性を試せる楽しい時間でもあると言えます。

 私はニ刀の修行の成果を一刀に活かせるかというよりは、一刀の稽古をどうニ刀に活かせるかと考えてしまいます。たぶん私にとって剣道とはニ刀そのものなのだと思います。これからもニ刀を執り続けると思いますが、ニ刀からみた剣道の道を追及していきたいと思っています。稽古をするたびに次の課題が与えられますので、わずかながらでも進化していける自分を感じています。いつか本当に一刀に活かせるニ刀の稽古ができるようになった時に、またひとまわり自分が大きくなれるのではないかと期待を持っています。


武蔵会の竹刀操作は、そのまま居合道にも通じる                               HN:剣道日曜

 私は少年時に剣道と出会い途中二十数年ブランクの後、剣道を再開して4年目になります。せっかく剣の道に戻ったのならば、「剣道のことをすべて吸収しよう」という思いから居合道もほぼ同時に始めました。

 “二刀流”。果して自分でも使えるのだろうか?どんな技だろう、特殊な体の運用があるのだろうか?そんな思いが私の中にありました。そして「武蔵会」合同稽古会に参加させて頂き、最初に聞いた言葉が、「二刀を一刀に遣う」つまり、二刀だからといって何も特別なことをしている訳ではなくあえて左右の手に別々の刀(竹刀)をもつことによって、各々の手の運用を学ぶということでした。以来、二刀に真剣に取り組むことになりました。

 一般論として「両手でも使えないのに片手でなんて」「片手では切れない」という方が多いですが、それでは居合ではどうでしょうか? 抜き付け、血振りはすべて片手振りです。男子の大人の方が一般的に使う居合刀は、800g〜900g前後ですが、あまり力を必要としていません。

 「武蔵会」の竹刀操作は、居合道にも通じるものです。何も特殊なことはしていません。居合の刀の操法をそのまま遣っているだけです。竹刀(刀)の振り幅と打突後の体の進め方が違うだけでした。

 面打ち(居合では切り下ろし)で説明すると、まず、中段から大きく振りかぶり右足の踏み込みとともに竹刀(刀)を相手の面(額)にかがけて振り下ろします。右拳は肩の高さで前方向に伸ばし、左拳は鳩尾あたりとなります。剣先の動きは振りかぶった位置から前方に伸びてゆきます。

 ここまでは、居合も剣道も動きはほぼ同じです。その後、

〈剣道の場合〉
 腕はその位置のまま、左足を右足踵付近まで引き付けた後、体を前方に進めます。剣先はさらに前方へ移動していきます。結果押し切りに見えます。

〈居合の場合〉
 刀が額に当たった後左足はわずかに前に動きます(流派により異なる)が、剣道ほど引き付けません。刀はほぼ水平方向まで振られ、左拳はへそ前まで来ます。剣先は額の位置から後方(自分から見て手前)へ移動していきます。結果引き切りに見えます。

 額(面)に当たるまでは私はまったく同じと理解しております。特に居合の、刀の握り方(手の内)、刀を振った際の小指〜中指に順に締めるなど、文字にすると、一刀(剣道)の基本そのままです。特記するとしたら、血振りの動作を応用し、刀を右下ではなく前方向に振ると「武蔵会」の面打ちになり居合の刀の操作をそのまま遣っているだけになるのです。

 このように私の中では二刀と一刀、剣道と居合道が一致しているのです。


理合に基づいた稽古なので、上達が早いのを感じる                               HN:ラルム

 大学1年の冬から我流で二刀を始めましたが、理合がつかめぬまま続けていたので限界を感じつつありました。卒業、社会人として稽古を続ける中で佐々木さんに出会い、我流での二刀から抜け出して二天一流を学び始めることになりました。

 さらに、中村師範との出会いはショックを受けました。
 目標とする二刀が実在したからです。
 これこそがやりたかった二刀だ、そう思いました。

 師範も我流で始めた二刀流が二天一流と出会い変わったと伺って、今度は私自身が中村師範と出会い変われれば良いなと思っています。

 剣道初心者で最初から二天一流を学び始めた仲間もいます。理合いに基づいた稽古なので上達が早いのを感じます。私の場合は我流の時期が数年あり、その時の癖が取れずに二天一流に近づくのに少々時間がかかっています。

 二天一流の理合いを学び、目指す二刀流の剣道に少しでも近づけるように精進して行きたいと思っています。

二刀の修練を積んで行けば、一刀の剣道もより素晴らしく                          HN:robocon

 武蔵会の二刀と竹刀を交えるまでの私は、二刀を自分の中の剣道として認識したことはありませんでしたし、極端にいえば、一刀中段だけが剣道の王道と信じ、小さい頃からひたすらその修練を積んできたような気がします。

 しかし、この二天一流に出会ってからは、それまでの自分の剣道との接し方に疑問を持つようになり、自分が剣道を修練する意は何なのか、真剣に突き詰めて考えるようになりました。

 そんな中で私はいつの間にか二刀を手にしており、二天一流を自分の中の剣道として認識し、選択していました。二天一流の流祖である宮本武蔵は、その晩年を絵画や書に没頭し、一説によると武蔵が剣の道を極めた先にあったものは、絵画や書のそれと全く同じだったと言われています。

 これは我々にも通ずることで、二刀をとろうが一刀をとろうが、もっと大きくいえば、剣道をとろうが絵画をとろうが書道をとろうが、それはもはやその人自身の人間性を形成する一手段にしか過ぎず、大切なのは一つの道を自分の人間形成の手段の中の柱として修練し続けることだと思ったのです。

 また、二刀と一刀は、決して別次元のものではありません。それは私が二刀をとったことによって得た率直な感想です。二刀を理解し一刀をとる、あるいは、一刀を理解し二刀をとる、この連鎖こそが自分の剣道を飛躍的に成長させてくれるのだと、自分自身、未熟ながらに実感しているところでもあります。

 二刀をとると、一刀をとった時の自分の悪癖がより強調されて映し出されます。

 「正二刀」の場合、一刀で腰が入った打突のできていない者は、右手の片手打ちと右足踏み込みで打突した途端、まるで重心を失ったかのように体が完全に開いてしまうのが顕著に分かりますし、一刀の時に左手が利いていない者は、小刀での打突はもちろん、小刀の剣先で相手に攻め入ることもできません。

 しかし、このような自己の欠点を克服するよう努力し、二刀の修練を積んでいけば、いつの間にか一刀をとった時でも、腰が入った打突や左手の利いた構え及び打突が自然にできるようになってきます。自分の一刀をより素晴らしいものにするためにも、二刀は非常に有効であると思うのです。

 私はこの二天一流に秘められた未知の可能性を中村師範と共に探究し続け、いつの日か人の心を打つような、そんな二刀を目指して修練していきたいと思っています。


一刀も二刀も同じ剣道、間合の攻防で攻め勝った者が勝つ                            HN:りょう

 私の剣道人生で、最も私を操ったのは、中村師範でした。

 過去に二刀と試合し勝利をおさめた体験があり、上段もあまり苦にせず、それまで対戦してきました。ですから中村師範と初対峙したときは、意気揚々でしたが、終わったときには意気消沈を通り過ぎ、頭が真っ白でした。

  「この人は、私の心が読めるのか?」
  「いくらなんでも、すべての技を返されるとは……」

 昼食時、師範は笑って、

  「形にそえば、すべて対応できる。攻め手は対角線を狙うこと。」

 驚きました。自ら、二刀の攻め方を指南されたのです。なんという自信、なんという懐の深さ。午後、もう一度稽古をいただき、弱点を狙おうとはしますが、結局私はマリオネットでした。

 二刀を始めた当初の私の稽古割合は一刀、二刀、3対7ほどでした。半年ほどたち、とある試合に一刀で出場し愕然としました。ここという時、決め切れません。そのまま延長で1回戦負けです。この日を境に、私は中途半端なことはやめ、自分に二刀の自信がつくまで、すべて二刀で行なうと決意しました。武者修行に近い出稽古にもどんどん行きました。心の余裕でしょうか。二刀を執るようになって相手の動きがよく見えるようになりました。

 私としては一刀も二刀も同じ剣道。間合の攻防があり、攻め勝ったものが打ち、負けたものが打たれると思っておりますので、一刀、二刀どちらをやるということにこだわりはまったくありません。ただ相二刀の対戦は「どこを打とうか狙っているだけのように見える」という指摘をもらったことがあり、確かにうなずける部分もあります。お互いに構えを崩さず、近間の攻防ができれば良いのですが、私たちのレベルではまだまだそのあたりが練れていないのでしょう。

 一刀しかされない方の中には、二刀を邪道と言われる方も少なくありません。しかし、武蔵会の二刀は形の理合に基づいたものであり、竹刀を持ってもあくまでもその理合を追求しています。こうした稽古を続けていくことで、二刀流が多くの方に認めていただけるようになると私は信じて疑いません。


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